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陳情の詳細情報

陳情第2号 憩いの川辺親水歴史川遺構の保存に関する(求める)陳情書

受理年月日
令和4年7月14日
受理番号
陳情第2号
委員会付託日
令和4年9月7日
付託委員会
経済建設常任委員会
議決年月日
令和4年9月22日
議決結果
採択(全員賛成)

陳情の内容

陳情第2号
  憩いの川辺親水歴史川遺構の保存に関する(求める)陳情書

陳情趣旨
 新發田氏の宗祖佐々木三郎盛綱氏(平安から鎌倉初期時代)由来の佐々木川(現太田川)は飯豊連峰を源流とした加治川の支流で古より東大寺領豊田庄を潤し、住民生活の糧と心の安らぎを与え続けてきました。
 しかしそこには、戦国、江戸中期までの長年にわたる水害との闘いの中、三年に一度程の収穫が続く慢性的な飢饉が住民を苦しめてきました。その後は生命維持のために協力体制が村の成り立ちとなり、福島潟干拓開墾への人々の並々ならぬ思いはあったが幾多の苦難が伴っていた。今から 270年前ごろに藩命を請けて柿崎(現柏崎市)より来た山本丈右エ門は莫大な干上地開墾を成し遂げた。その業績は今も太田川を渡る橋名を丈右エ門橋として名を刻み、その偉業が物語られている。
 歴史とは、たんなる時間の積み重ねだけではないのです。歴史が貴ばれるのは人々が苦難を克服し、その努力が引き継がれ継続してきた心なのです。その心を有形にした下興野集落中央を流れる川が遺構なのです。清流の川を挟んで両側に道路と家並みが現存する景観は珍しく、あの有名な倉敷市の川辺の風景を彷彿させることができる遺構となると考えます。
 しかしながら、川辺の維持管理は地域も引き続き努力してまいりますが、高齢に伴い徐々に困難となってきましたことから、歴史的、文化的価値をさらに高める遺構としての保存整備の早期実現を切に願い陳情する。

陳情事項
憩いの川辺親水歴史川遺構の保存
1 川岸の護岸改修
2 浚渫
3 堰止め改修


令和4年7月14日 

 新発田市議会議長 若月  学 様

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