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陳情の詳細情報

陳情第5号 陸軍大将今村均の顕彰を希望する陳情書

受理年月日
平成24年8月14日
受理番号
陳情第5号
委員会付託日
平成24年9月3日
付託委員会
総務常任委員会
議決年月日
平成24年9月27日
議決結果
不採択(賛成なし)
賛成0、反対25

陳情の内容

陳情第5号
  陸軍大将今村均の顕彰を希望する陳情書

陳情趣旨及び陳情事項
 先の6月定例市議会で政商大倉喜八郎を顕彰したいという議員の提案を聞いた一老人である。議員は新発田の生んだ大実業家だと云い、小生の如く薩長の足軽政府と癒着して成功した政商俗に云うブローカーとは云わなかった。薩長の足軽共にとり入って成功したのは、なにも大倉喜八郎だけではない。岩崎弥太郎、渋沢栄一、古河市兵衛などいくらでもいる。山城屋に責任をかぶせた山県某、官有物払下事件の黒田某だけでなく藤田組とグルの井上某等々明治の政官商癒着は、今より露骨で盛大だった筈。山県某は長州の足軽以下の身分だった男。それが大正11年83才で死亡するまでに9つの邸宅別荘を東京京都等に作らせたと聞く。今東京千駄ヶ谷に結婚式場として残る椿山荘はそのひとつ。一代で金殿玉楼を9つ建てるカネは莫大で、高級官吏の報酬だけで作れる筈のないハナシだ。故人のフトコロの話など詮索無用だから止める。大倉達政商の悪口も軽くにおわせるだけにしよう。過去の人間の悪事を暴露したとて意味がないから。
 それでも顕彰すべき人間は確かに存在するし過去にも存在した。新発田高校の前身、旧制新発田中学出身の陸軍大将今村均はその一人であると確信する。彼は仙台の人で判事だった父君の勤務の都合で仙台二中から?芝中に転入。生粋の新発田人ではない。しかし芝中、士官学校、陸大を好成績で卒業したから陸軍大将にまでなれた人だ。成績イコール地位は今も同じ。
 小生は学校の成績や社会的地位の高さなどありがたいと思わぬボンクラ老人である。では、なにが彼今村均を顕彰するタネかと問われたらお答えする。人間としての責任のとりかたが、常人、ボンクラ、俗物どもとは全くちがったからである。
 今村均は第八方面軍司令官として、敗戦をラバウルでむかえたという。それから昭和43年81歳で東京で死去するまでの生き方が実にすばらしいのである。
 小生は、今村均の名前は若いときチラッと聞いた。敗軍の将などフンだと思ったものだ。氏は没年かその前年新発田高校へ講演に来たと、その頃聞いた。私は諸君にあやまらねばならぬと云ったとか。その時もフン、ボケ爺めと思っただけ。昭和42年か43年での話だ。
 その小生が、今村均顕彰を希望するのは、06年筑摩書房が発行した文庫本、責任ラバウルの将軍今村均を一読した後である。今村均が敗軍の将として、戦犯として、同じ戦犯として現地で苦労する旧部下達とどう過ごしたか、釈放後没するまで、どう人と接したかが非常におもしろいのだ。哀れなエピソードもある。ズンゲン守備隊玉砕崩れなどその典型である。小生は敗戦後の彼の行動を買うのだ。
 各位にお願い申し上げる。今村均氏の事績をお調べいただき、郷土の学校卒業生、先人先輩として偉大な氏を顕彰すべく、ご努力いただきたいと。
 以上陳情します。

平成24年8月11日

新発田市議会議長 宮野 昭平 様

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